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ギャンブル論対決

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このページの趣旨

ここでは現役であるプロギャンブラーNOBUKIさんの紹介も兼ねまして、カズの理論と並べています。
経験があるからこのような事も知り得るので、カズとしては理解者がいてくれて嬉しい限りです。
もちろんNOBUKIさんのギャンブル論を先に見て書いていますが、そこは「パクリだ!」とか言わず
大きな心で読んでください。


※ 『原文』のリンクをクリックするとNOBUKIさんのブログに行けます。

NOBUKIさんへ: 
掲載許可&お褒めの言葉ありがとうございます

機会があればまたパクらせ参考にさせて戴きますネ♪




実際に会ったときにオモロイ名刺もらった♪♪♪


NOBUKIさんが受けたインタビューです。

普通の方とは積み重ねたものが違うので「へ〜ぇ!?」と思うところもあるかもしれませんが、こういう発想もあるんだと捉えて観ればあなにとって何らかの刺激になりえます。


プロギャンブラーのぶき  (※ YouTube )




カズに対する記事「ギャンブルは楽しいものっすか?」との質問に答えてくれました♪
これは読んだ人の感じたこと次第ですね。


原文: ギャンブルは楽しい?前編  ギャンブルは楽しい?後編



現役プロギャンブラーNOBUKIさん               むかしは現役プロギャンブラーだったつもり カズ

原文: ブラックジャックのプロとは タイトル: ギャンブルで得た力


ギャンブルには勝ち続けられるものもある。

世界で一千万人がブラックジャックをする。
ブラックジャックのプロは不可能。
これがカジノ業界のBJを本当に熟知してる人達の通説。

だが、僕はプロになれた。
ほぼ全員が負け、僕は勝てる。
不可能を可能にした。

道のりは「ハード」という言葉などではおぎなえない。
すべてをパーフェクトにした。
テクニック・メンタル・行動力・思考力など、すべてにおいて。
ギャンブルは突き詰めると「確率と統計」という学問にたどり着く。
学問を研究しつくしたら、運という不確定要素を消せた。
ダイレクトに学問を駆使して、ギャンブルへ勝ちにいく。
すべての動き&流れを、数字で心と頭と体に刻みこむ。

簡単に勝てる勝負をしても、得るものは少ない。
勝つために想像を絶するハードな戦いをし、ギリギリ勝てたからこそ、莫大なものを得れた。

プロへなるためにブラックジャック、ギャンブル、勝負の勝ち方を知った。

ギャンブルは勝てないモノと思われている。

サイコロの勝ち負けは運が重要。
常に1/6で選択されているから誰も分からない。
これがサイコロを振る人の常識であり、永久不滅の確率抽選である。

だが、勝てた。
誰も勝てないのに、カズは勝てる。
不可能を可能にした。

道のりは「無限」という言葉が当てはまる。
すべてを超える覚悟で望んだその道のりには常識を超えるものがある。
考え方の幅が大きく広がった。
相手の心理を読み取る力もついた。
ギャンブルはすべて「確率と統計」そして「心理」という学問にたどり着く。
学問を研究していけば運という不確定要素を少しづつ消せていった。
相手を超える学問を身に付け、全てを凌駕する力で場を支配する。
行動、流れ、敵対心、呑まれぬよう全身で受け止める。

相手が弱ければいくら勝負をしても得るものは何も無い。
勝つために想像を超える努力をし、負けても挫けなかったからこそ、勝てるようになった。

これらは人生にも通じるものがあると知った。




原文: カジノへのBJ・アドバイス タイトル: パチンコ店へのアドバイス


カジノの自社商品であるブラックジャック。
自社のBJルールだと、どのレベルのカウンターがどのようなプレーをしたら、どれほどの利益&損失となりえるのか?
どのカジノもわかってないのが現状。
自社商品の知識もなく、商売してる。
頭が悪すぎる・・・

カウンターにビビリすぎ&追い出しすぎ。
もっと大きく構える器を持つべき。
カウンターは、カジノにとって上客な可能性をもってる。
スキルがあるほど、人は自信を持って大金を賭け続ける。
カジノを倒せないレベルのカウンターを追い出すことは、利益の放棄と同様。
トータル負け越すカウンターの追い出しを何度も耳にした。

さまざまなレベルのカウンターを雇って、自社ルールの損益を知るべき。
少なくとも、ベガスの現状ルールを打ち破るのは不可能。
一定のプレーを500時間したら、100%負け越すと考えてる。

安心しよう。
この世の中にBJのプロがいたとしても、ごくわずか。
その方達ですら、数度はカジノを追い出され、たいしてプレーできないはず。

もっとギャンブラーにとって、いいルールへすることをカジノに提案したい。
プロが存在すると思えば、より多くの人間が熱くなり、より多くのお金をスッてく。
勝てそうで、トータルは負けてく。
たまに勝ち、よく負ける。
これが今より儲かるカジノ経営の理論。
ギャンブルを極めたものが、ギャンブルを一番知ってる。
いくら良いルールにしても、プロは皆無に等しい。
それほど、プロになるのは大変。

トップ.プロがイーブンになるくらいのルールが、ベストの道。
今のカジノはセコすぎる。
プロにビクビクし過ぎ。
ピット.ボスが無知かチキンばかり。
もっとドンと大きく構えてなきゃ、客は必ず離れていく。

カジノは、プロよりギャンブルを知らなすぎる。
今のカジノは、ノーリスク&ローリターンで経営してる。
少し甘いルールにしても、ノーリスク&ミドルリターンになるだけ。
運だよりのギャンブラーに勝ちめはない。
もっと、儲けられる。

ギャンブルという商品の真髄を知らないから、企業利益の追求が甘い。
安定企業といわれてるだけあって、急上昇な企業じゃない。
カジノは頭が悪い。
ギャンブルやリスク&リターンの関係を勉強不足。

賢いカジノ経営を見てみたい。
パチンコ店の商売道具は台。
全体からの収益はホールコンピューターで分かるが多くいる打ち手のレベルは分かっていない。
他の職種とは違い、店側よりも本気で勝ちに行く人のほうが商売道具である台の知識は詳しい。

これは全国共通であり、店側はどうしても遅れを取ってしまうのが現状。

自社で扱っている商品についてお客さんより分かっていないのは問題がある。
対策が遅れ、一部の人が大勝ちすれば店側としても収入確保のためキビシくしなければならないからだ。


結果、一般のお客さんをターゲットに損失補填を図る。


上級者に振り回されての経営、心理戦に敗れた店側の暴挙。
これらは台の知識とお客さんのレベルを把握しきれていないからその場しのぎの対策を採らざるを得ないのである。


ゲームを作る会社より、そのゲームをやり込んでいる人達とは見ているところが違う。
「儲かれば良い」と「勝てれば良い」の違いをもっと真剣に分析するべき。


パチンコ店なら勝ちに拘る人達を考えよう。
情報が不足な新台に彼らが何を狙っているのか?
なぜ見抜かれるのか?は店側の努力不足。
こんなことで店のルールを変えるなんて、お客さんに負けているのも同然である。


強引に上級者を排除すると他のお客さんも気付く。
上級者がいなくなると他のお客さんは悪くなったと推測する。

正しい本当のパチンコ店経営というのは上級者に離れられず、共存共栄を図ること。
これらは上級者の狙い方を知り、台の知識に詳しければ簡単に成し遂げることも可能。
努力不足の代償はそのままお客さんの減少に繋がる。

上級者に好かれる店は初心者を多く呼び込むことができるからだ。

初心者は勝ちたい!だから上級者が多くいるとこに集まるのは当然であろう。

僅かな損失を恐れて上級者を寄せ付けない経営を続ければその先の初心者が落とす大きな利益をも同時に失っていることに気付こう。

パチンコ店のほとんどはこの事実に気付かず、上級者排除の方向でやっている。
何人かの上級者を除いて「勝った!」と自惚れるのは目先のことしか見えていない自己満足。
その結果である将来の大きな収益を失うのは人の心理を理解できていないからである。

レベルを問わず、大勢のお客さんが集まる店こそ、本当の勝ちなのだ。





原文: なぜギャンブルは悪い? タイトル: 物事に対する価値


ギャンブルにはダーティーなイメージがつきまとう。
なぜギャンブルは悪い?
それはお金を失うから。
生きていくのに大切で必要なお金を失うから。
つまり、負けるから悪い。

常識なんてシカトしよう。
仕事してお金をもらう。
ギャンブルしてお金をもらう。
仕事はすばらしく、ギャンブルはダメ。
そういう差別的な考え自体がダメ。

ニュートラルに考えれば、ギャンブルは勝てばよいものとなる。
やるならマジに勝ちにいこう。

勝つための方法はある。
勝つための方法を実践しよう。
そして勝てそうなときに、勝てそうな分だけ賭けよう。
必ずトータルでは勝ちを目指す。
他人に迷惑をかけずお金を稼ぐ人が、批判される筋合いはない
「ギャンブル=悪」と言えばほとんどの人は賛成してくれる。
ではなぜ悪なのか?
ギャンブルならお金を失うから?
不幸になった人が多いから。
つまり悪いイメージが定着しているのは負けて身を崩す人が多いからで、それは
自己責任。

仕事で稼ぐ。
ギャンブルで稼ぐ。
どちらも同じ価値のお金であり、重みを感じるのは対価に似合った努力と行動をしているから。

ギャンブルを知らない人が勝っても重みは感じない。
同じ一万円でも仕事の収入は立派でギャンブルの勝ち金は軽いと優劣まで付ける。

まずは努力を知り、行動しよう。
人より努力すれば仕事でもギャンブルでも一歩先を行くことができる。

努力せず、行動せずに話す言葉は軽い。
努力し、行動してから語る言葉にこそ真の価値がある。




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